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スペシャルインタビュー

渡嘉敷勝男×セレス小林
チャンプを目指せ!
〜ボクシングが見せてくれた夢〜
渡嘉敷勝男(第6代WBA世界Jrフライ級王者)
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セレス小林(第13代WBA世界Sフライ級王者)
 

今回は、太田プロ所属、プロボクシング元世界王者ふたりのボクシング対談。対談場所は、中野新橋にある渡嘉敷ボクシングジム。渡嘉敷会長は、練習生希望者の電話にも積極的に対応する。ジム内では、ボクサーたちが真剣に練習をしている。突然鳴り響いた会長の携帯着メロ。曲はもちろん「あしたのジョー」だ。
 ボクシング解説などでも一緒に仕事をする機会があるという、会長とセレス小林。ボクシングを盛り上げたいとボクシングの夢について熱く語り合う。ボクシングだけでなく、どんな世界でもチャンプを目指すなら必見!



■ 世界チャンプに憧れて ■

渡嘉敷:最初セレスって名前を聞いたとき、フィリピンかタイの選手だと思っていたよ。また輸入ボクサーかって。

セレス:よく言われます。ハーフじゃないかとか(笑)。まあ、顔を見てもらえば違うってわかるんですが。渡嘉敷さんは本名なんですか?
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渡:そう。ただ、名前が勝男だから、リングネームだと思った人もいたみたい。でも、リングネームなら、渡嘉敷なんて難しい名前はつけないよ。小さいころは、サザエさんのカツオなんて、からかわれていじめられたこともあって嫌だった。でも、反発精神は育ったけど(笑)。国際ジムは日本ランキング10位に入ると、リングネームがもらえるんだよね。

セ:はい。最初は小林昭司という本名で出ていたんですが、リングネームをもらえるということになって、三浦利美コーチ(元日本バンタム級王者)が考えてくれました。最初は本名のままでやりたいという気持ちが強かったんですが、リングにあがればボクサーはスターだって高橋会長に言われまして、そうかなって。ついにリングネームがもらえるようになったのかという感激もありました。僕が勤めている冠婚葬祭会社の結婚式場「セレス」からとりました。セレスは大空という意味です。当時、コーチも僕が世界チャンピオンになるとは思っていなくて、日本チャンピオンぐらいで終わっても、会社の宣伝になるリングネームがついていれば、一生社長にかわいがられて食べていけるだろうって考えてくれたんです。結局世界チャンピオンになり、社長に喜んでいただいたようです。…渡嘉敷さんがボクシングを始めたきっかけは何ですか?

渡:16歳のとき、具志堅用高さん(元WBA世界Jrフライ級王者)の試合を見て感動してだね。俺と同じぐらいの体型で、こんなに素晴らしくかっこいい人がいるのかって、衝撃を受けた。俺より強いヤツがいるのかって。それまでは、ライオンかゾウじゃないと、自分よりも強くないと思っていたから(笑)。それで、倒してやるぞって思い、全ての遊びをやめて、東京に出てきた。まだ17歳になったばかりだったね(笑)。

セ:僕もテレビでボクシングの試合を見て感動したのが17歳でした。上京してからは?

渡:童顔だったから、15歳ぐらいに見られてしまい、最初は、バイトを全部断られた。神奈川に兄貴がいたから、上京してからはしばらくそこにいさせてもらって、東京で探した。最初に新宿の喫茶店でバイトを決めた。もちろん、年齢は19歳ってことにして。俺はバイト先とジムが近く、時間的に無駄がないのがよかったから、そこから近い場所にジムを探していたんです。アパートは千駄ヶ谷。代々木公園は走るのにぴったり。探し始めてから2週間、たまたま代々木にある協栄ジムを見つけたんです。ジムには、歴代チャンピオンの写真、海老原博幸、西城正三、具志堅用高と並んでいました。

セ:具志堅さんが協栄ジムだということを知らなかったんですか。

渡:知らなかった。本当に偶然。若かった俺にとっては、そこに宿敵の写真があった(笑)。面白い、毎日チャンピオンと顔を合わせて、勝負できるって思った。まあ、ジムにしてみれば、なんかチンピラみたいなヤツが入ってきた、という感じだったでしょう(笑)。でも、あのジムに入らなかったら、世界チャンピオンになれてない。だって、具志堅さんの練習を身近で見られてないですからね。世界チャンピオンがあれだけ練習している、というのを見て、同じ練習、いやそれ以上に練習したんです。
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セ:渡嘉敷さんの練習と天才ぶりは有名ですよね。

渡:いや、俺はケンカは強かったけど、ボクシングのやり方もわからない素人だったから。具志堅さんがロードワークを15キロしていると知れば、俺も15キロ。ついでに夜も走る。むこうは、アマチュア時代から、天才と呼ばれた人ですから。一方俺は、具志堅さんの試合をテレビで見て、一方的に憧れケンカを売ったただのチンピラですから(笑)。具志堅さんが質の練習を1時間半したら、俺は量だけ、4時間も5時間もした。そしたら、どんどん強くなる。俺が入って3ヶ月目、具志堅さんはちょうど5度目の防衛戦(1978年5月7日)の準備中でした。日本チャンピオンクラスのボクサーをあちこちから5人ほど雇い、スパーリングをするわけです。具志堅さんは、練習でも本気で殴るから、骨折したり、網膜剥離したりで、壊れてしまったスパーリング相手もいます。俺はそのころ、練習熱心で有名になっていました。チャンピオンが見ている前では、特に熱心にやっていたし(笑)。結局、チャンピオンが全員を倒しちゃって、「練習にならないじゃないか」って。当時の俺は、まだ剃り込みが入ったチンピラですから、トレーナーが俺をからかうように、「どうだ、具志堅て強いだろう。どうだ、恐いだろう」って言ったんです。でも、俺は、チャンピオン、その人のために、全てを捨てて、好きな女とも別れて上京してきたわけです。ですから、「いいえ(恐くありません)」と答えた。じゃあ、やるのかという話になって、望むところだと思って、防具をつけ、向かっていった。

セ:トレーナーは、こいつ普通じゃないって思ったでしょうね。

渡:思っただろうね。「具志堅、ちょっと遊んでやれ」ってささやいたんだよね。それが俺に聞こえて、具志堅さんを倒せるとは思わなかったけど、どこか傷つけてやるぐらいの気持ちはありましたね。最初、ババババって撃っていったら、数発当たったんですよ。よーし、とどめだって思ったら、パチーンと相手の左ストレートが入って、俺の鼻がカチーンといった。軟骨が折れたんですけど。それからもどんどん撃たれて、俺はボロボロになったけれど、俺のパンチも当たるわけですよ。最後に具志堅さんは、なかなか倒れない俺の足を引っかけて倒したんです。そのとき、記者やファンが100人ぐらい見学に来ていたんですが、チャンピオンが練習生にムキになったってささやきあってました。結局2ラウンドのゴングが鳴っても俺が立っていたので、具志堅さんが、「こいつすげーよ」と言ってくださって。それがきっかけで、具志堅さんのスパーリングパートナーに使われることになりました。当時の青かった俺は、「ふふふ、しめた。具志堅さん、あんたが俺のスパーリングパートナーさ」なんて、内心思ってましたけど(笑)。
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セ:それから、世界チャンピオンになるまで、3年半ぐらいですよね。

渡:初めて具志堅さんとスパーリングをしたとき、俺のパンチも当たったという嬉しさが大きかったからね。それから、本当の戦いの日々が始まりましたね。具志堅さんの試合を見て、今の僕がありますから。それだけ、具志堅さんの魅力はすごかった。大阪にいるときは、ケンカばかりしていたけれど、あのとき、具志堅さんの試合をテレビで見なかったら、ボクシングもしてないだろうし、今頃、やくざになって死んでたかも(笑)。16年間生きてきて、一番衝撃を受けた人と戦いたいという思いがありましたから、僕はあのとき、生まれ変わりましたね。

セ:いや、本当にすごいです。そんなに早く、世界チャンピオンになった人の話は、他には聞いたことがないですよ。

渡:それは俺が具志堅用高さんが所属するジムにいて、世界チャンプのボクシングを教わったから。

セ:それがすごいんですよね。普通は3ヶ月目でスパーリングやったら、壊されます。それに世界チャンピオンのスパーリングパートナーが、世界チャンピオンになるというのは、当時はなかったですよね。僕は、渡嘉敷会長の話を、三浦コーチから聞きました。渡嘉敷さんは、すごい天才だって。努力もしてるけど、本当の天才だって。そんな人は他にいませんよね。僕は世界チャンピオンになるまで、10年近くかかりましたから。

渡:当時の協栄ジムもすごくて、一時期は、世界チャンピオンが2人同時にいたことがあるから。ライトフライ級の具志堅さんと、スーパーフェザー級の上原康恒さん。日本チャンピオンが4〜5人。新人王は当たり前。田舎では新人王をとったら、町あげて応援ですよ。それが、ジムに当たり前にいるんだから。4回戦なんて、ヘッていう感じだったね。

■ 負けない、負けたくない ■

セ:僕はボクシングを始める前はサッカーをやっていたんですが、会長は、どんなスポーツをされていたんですか?
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渡:野球、サッカー、ラグビー、空手。空手は優勝したこともあるけれど、他のスポーツは、レギュラーと補欠をウロウロしていたね。俺は当時は(兵庫県)宝塚のナポレオンと呼ばれていましたから。3時間しか寝ないで、宝塚で夜中じゅう遊びまわっていました。本当にいい加減だった。セレスは、なぜボクシング始めたの?

セ:僕はテレビで大橋秀行(元WBC世界ストロー級王座)さんの試合を見て。大橋さんが負けた試合(1988年6月27日・大橋秀行WBC世界Jrフライ級王座挑戦)なんですけど、チャンジョング(張正九・韓国・第11代WBC世界Jrフライ級王者・王座防衛記録15回)と大橋さんが東京で試合をやって、大橋さんが倒された。でも、大橋さんは、倒れても倒れても立ち上がる。すごいな、この人はって感動したんです。それでボクシング雑誌を買ったら、大橋さんがまた試合をやるということが書いてあった。「あの試合の人だ」って思いましたね。高校生のときです。それがきっかけで、ボクシングをやりたいって思ったんです。一生懸命に親を説得しました。悪いことは全部やめるからって(笑)。それで、国際ジムに通い始めました。

渡:茨城からどのぐらいかけて通ったの?

セ:週一度ですけど、片道2時間半ですね。電車やバスがなくて。土曜日、学校が終わってからジムに向かいました。

渡:すげーな。歩いて10分しかかからないのに、一生懸命やらないヤツは大勢いるからね。

セ:当時は練習を見てもらえるだけで嬉しくて。でも、一時間半ぐらい練習すると、帰っていいよって言われるんです。もっと見てほしいという気持ちもありました。そうしたら、三浦コーチが、「おまえは毎日来られないから、毎日これをやれ、あと走れ」って、練習メニューをくれたんです。「メニュー通りにやらなかったら、見たらわかるからな」って。それ以来、三浦コーチとのつきあいがずーっと続いたわけです。
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渡:それは、センスがあったんだろうな。

セ:高校卒業するとき、本気でボクシングやりたいのかって聞かれて、やるなら東京に出て来いと。国際ジムの寮に入って、3、4時間バイトして、あとは朝も晩も練習。でも、寮では六畳に3人という相部屋だったので、減量のときは周囲が気になって辛かったですね。まあ、寮に3年いて、その後アパート暮らしをしたんですが。そのうち彼女ができて、同棲して。でも彼女ができたとき、彼女のためにって思うと、より頑張れました。

渡:俺もそう思った。当時協栄ジムは600人もいる大所帯で、社内恋愛も公にはできなかったけれど、俺の奥さんはジムで事務員さんをしていたの。最初、かわいいな〜と思って。世界チャンピオンになってからは、ジムをやめさせて堂々とつき合うようになったけれど、それまでは一応秘密でした。この子とつき合って、ダメになったと言われたくないという気持ちが強かったし。

セ:僕も、もう強くなれないと言われたりして、でも反発精神を持ってやりましたね。それに、女ができて負けたと言われたらダメだと考えていました。日本チャンピオンになったとき(1998年9月30日)に、娘をリングにあげたんですが、次は世界チャンピオンだねって言われて、その気になってしまいました。この子をリングにあげたいという気持ちを励みにしました。

渡:女性とつき合って溺れるヤツもいれば、励みにできるヤツもいる。今日は練習しないで遊びたいなと思っても、明日の練習に備えて、早く帰って寝るといえるかどうか。遊びの好きな子とつき合うと、ダメなんだよね。奥さんは、一度も俺の試合を見たことなかったって、恐くて、いつもトイレで震えていたって。そうそう、女性との出会い同様、いやそれ以上かもしれないけれど、コーチやトレーナーとの出会いは大切だよね。俺が尊敬している福田洋二トレーナーは、世界チャンピオンを4人育てた。具志堅用高、俺、竹原慎二、飯田覚士。

セ:僕、飯田さんのスパーリングパートナーに呼ばれたことがあるんです。当時まだ8回戦でしたから、ボコボコにやられましたけど。
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渡:ボコボコといえば、信頼しているトレーナーやコーチに蹴られたり殴られたりしても、愛情が伝わるんだよ。悔しいか、かかって来い、と言われているように感じていた。

セ:そうですね。キャンプも厳しかったなぁ。

渡:俺もキャンプでは、泣きながら走ったよ。でも負けたくなかったから、やったね。しまいには、トレーナーに「渡嘉敷、もうやめろ。これ以上やるな。俺が悪かった」って言わせるまで、やりました。でも、世界チャンピオンになるヤツはみんなそうだね。

セ:僕はそこまで練習したかなぁ…でも、死に物狂いでやったのは確かです。僕は、パンチもスピードもセンスもずば抜けたものがないって言われてましたから、今に見てろって思ってた。強くならないと、大きな試合を組んでもらえないから、そうなると勝つしかありませんよね。今に見てろって思ってたし、三浦コーチを尊敬していたから、この人の言うとおりにしていたら負けない、という気持ちもあった。

渡:それだけ信じさせる魅力はすごいね。俺、一度だけ福田先生とケンカしたことがあるんだ。カムバック戦のとき、相手はおまえの一番苦手なタイプだからやるなと言われ、俺はやりますって言い張ったら、もうおまえの練習は見ないって。…でも福田先生のいなかった1ヶ月の疲れたこと…。ちょうど、チャンジョングとやる前の前哨戦のときでね、福田先生がいないとやっぱりダメだと思って、僕が悪かった、練習を見てくださいって、わびを入れました。

 


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